バカラ概要

ゲームの概要

バカラと聞いて誰もが連想するのは 「大金持ちのギャンブル」 。そのためか、初めから 「自分には関係ない」 と思い込んでしまっている者も少なくない。

たしかにバカラは大金持ちがよくプレーするし、大金も動く。

また広いカジノフロアの中でも、あたかも特別ルームかのような奥まったセクションで行われていることが多く、近寄りがたい雰囲気があることは事実である。

しかし、やっていること自体はバカバカしいほど単純で、カジノゲームの中で 最も簡単なゲーム と言ってもよい。

そういう意味においては、バカラそのものが高度で近寄りがたい遊びなのではなく、単純すぎるがゆえに、ゲームのテンポが速く (特にミニバカラでは)、その結果として大金が動いてしまいやすいために近寄りがたいと考えるべきかもしれない。

またこれまでの伝統的バカラ (ミニバカラではない通常のバカラ) においては、意味のない単なる儀式的なルール、たとえば一番賭金を大きく張った者が先に結果 (カードの数字) を見ることができるという珍妙なルールなどがあったりしたため、必要以上にプレーヤー間の闘争心をあおり、結果として賭金が高くなりがちだったという側面もある。

それとは別に、一般庶民をバカラから遠ざけてしまっていたもうひとつの大きな理由として、このゲームが元々ヨーロッパ貴族の遊びだったため、アメリカに上陸した後も必要以上にかしこまった雰囲気の中で行われていたということが挙げられる。たしかにバカラはヨーロッパにおいては数百年の歴史があり、今でも正装姿で行われたりしている。

こうしたバカラをアメリカ人はここ 20年ぐらいの間にルールも雰囲気も大きく変えてしまった。つまり、より庶民的、より単純明快に、ルールを変えていったのである。したがって、現在世の中には大きく分けて 「ヨーロッパ流の正統派バカラ」 と 「アメリカ流近代バカラ」 が存在していることになるが、今回ここで紹介するバカラは、そのアメリカ流近代バカラにさらに改良が加えられ完成した超近代的バカラ 「ミニバカラ」 である。

ミニバカラ

ミニバカラは、80年代アメリカで親しまれてきたアメリカ流近代バカラにさらに改良が加えられ、90年代になって定着した ラスベガス生まれの近代バカラ である。

従来のアメリカ流近代バカラには、かなりの部分においてヨーロッパ流のかしこまった伝統的儀式が残されていたが、このミニバカラからはそれらは完全に取り除かれ、ゲーム進行も雰囲気も賭金も完全にブラックジャック並みのレベルに庶民化された。

そういう意味においては改良を 「加えた」 というよりも、不必要な部分を 「削除した」 と表現すべきかもしれない。

いずれにせよ、ヨーロッパ的なかしこまった雰囲気は完全に排除され、誰もが気軽に参加できる庶民派カジノゲームとなったのである。

では、このミニバカラと本バカラの違いはなにか。じつは、ゲームとしてのルール自体はまったく同じで、ハウスエッジなどにもなんら違いはない。違いをしいてあげるならば、名前が示すとおりテーブルのサイズが小さいことと、カードを絞ることができない、といった程度で、それらはゲームの本質や戦略を変えるものではない。

両者の最大の違いは、ルールや期待値などの実質的な部分ではなく、もっと抽象的な部分、つまり、客層、ゴージャス感、賭け金の大きさ、現場の雰囲気やインテリア、現場スタッフの衣装などで、あえて乱暴に言ってしまえば、「富裕層は本バカラ、庶民はミニバカラ」 といった図式になる。もちろん金持ちがミニバカラをやってもかまわないし、その逆に庶民が本バカラをやってもかまわないが、本バカラは最低賭け金が 100ドル以上に設定されているが多く、一般庶民にとってはやはり敷居が高いといってよいだろう。

なにごとにおいても、かしこまったことが嫌いなアメリカ人。少なくともアメリカにおいては、アメリカ生まれのミニバカラが本バカラを駆逐してしまうのではないか、とも思われた時期もあったが、彼らはもともとそれほどバカラが好きではなかったのか、ラスベガスにおいても結局はミニバカラも本バカラもそのプレーヤーの大半はアジア系の人たちで、アジア系の富裕層が存在している限り、本バカラがミニバカラに駆逐されてしまうことはなさそうだ。むしろ最近は中国経済の発展とともにチャイニーズ系の富裕層が増えてきているのか、ミニバカラよりも本バカラの存在感の方が高いように見受けられる。

カードの数え方

ミニバカラ (以下ただ単に 「バカラ」 と称する) におけるカードの数字の数え方は、基本的にはブラックジャックとまったく同じと考えてよい。

ブラックジャックでは絵札はすべて 「10」 と数え、バカラでは、絵札をすべて 「0」 と数えるので、「ブラックジャックとバカラでは数え方がちがう」 とヘリクツを言う者もいるが、バカラの勝負は合計の数字の下一ケタの数字だけで勝敗を決めるため、絵札を 「0」 と解釈しようが 「10」 と解釈しようが実質的にはなんら変わりはない。また Ace もバカラでは 「1」 と数えるが、ブラックジャックのように 「11」 と解釈しても結果になんら違いは生じない。

[ カードの数え方 ]

* A ( Ace ) ・・・ 1
* 2 ~ 9 ・・・ 数字通り
* 10,J,Q,K・・・ 0 (ゼロ)

ルール

バカラのルールをひと言で表現するならば、 「9に近い方が勝ち」 ということになる。( それがゆえに日本のオイチョカブに似ているとも言われている)。

では、ブラックジャックにおける 「21」 という数字の部分だけが、ただ単に 「9」 に置き換わったのがバカラかというと、そうではないのである。以下に説明しよう。

[ バカラとブラックジャックの2つの相違点 ]

バカラは、ブラックジャックのような 「ディーラー対プレーヤー」 の戦いでもなければ、ポーカーのような 「プレーヤー対プレーヤー」 の戦いでもない。表現はむずかしいが、「架空の2人の勝負に対して、そのどっちが勝つかに賭けるゲーム」 とでも言うべきなのがバカラである。
もっとわかりやすく言うならば、架空のAさんとBさんが 「9に近い方が勝ち」 というルールのゲームをやっている横で、そのAさんが勝つかBさんが勝つかの賭けをカジノ側と各プレーヤーが勝負をするのがバカラ、ということになる。
したがって、バカラというゲームに実際に参加している各プレーヤーは、カードを引くとか引かないとかの判断をする必要もなければ、「自分の手」 というものすら持っていないことになる。ましてやカードにさわる機会などまったくない (伝統的なバカラではさわらせてもらえる部分もあるが、それでもそれは単なる儀式的な意味しかない)。

もう一つの相違点は、今の例でいうところの架空のAさんもBさんも、カードを引くか引かないかは自分で自由に決めることができないということである。つまり引くか引かないかはすべて規則に従って行われるということで、そういう意味においてはAさんもBさんもブラックジャックのディーラー側の立場と似ていると言える。